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最後に残された幻のベタ

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近年ワイルドベタの仲間は新種ラッシュである。毎年新しい名前のベタが魚類学者によって紹介され、小型魚マニアはもちろんのこと、ショーベタやプラカット愛好家の方々もワイルドベタを飼育される方が増えている。新種のなかには以前から知られているが、名前のない種類(spパンカランブーンとかspタヤンなど)に新たな学名がつけられ、一方、本誌1月号165ページで紹介したベタ・パリフィナのように新しい種類が発見されたりしている。

それに以前なら本に紹介されるだけの、まだ見ぬ憧れのベタであったマクロストマやフォーシーなどが少数とはいえ姿を現すようになり、現在名前が知られているほとんどのベタは一度は出揃ったといっても過言ではない。しかし、そのなかで唯一、今なお幻のベタといわれているのが存在する。それがベタ・ルブラである。


本種は西暦1893年にスマトラ北部に分布するベタとして学術記載された。今からなんと100年以上前である。しかしその後、現在に至るまで1世紀以上もの間、アクアリウムの世界に姿を現さない謎のベタだった。ひとつは記載された論文があまりにも古くてどこにいたのか、どんなベタだったのかが、はっきり分からなかったこと。もうひとつは、スマトラ北部は治安が悪く、危なくて探しに行けなかったことがあった。そのため長い間、実際に生きた個体の確認がされておらず、学者によっては、インベリスと混同されているのではとの意見もあったほどである。(実際スマトラ北部にはベタ・インベリスが分布している。)

ところが、最近になってシンガポール大学の教授がベタ・ルブラの古い標本を調べたところ、インベリスではなくベタ・フォーシーに近い特徴を持っているということが、明らかになったのである。フォーシーといえば、はるか遠くカリマンタン南部に分布するブルーが非常に美しいベタである。しかし、学名のルブラとは"赤い"という意味である。一体どんなベタなのだろう??私はついに逸る心を抑えきれず、これまで数年来計画してきたベタ・ルブラ探索旅行を実行することを決意したのである。

この発色! 幻の赤いベタは、想像以上の美しさだった!

ベタ・ルブラのメスは、オスのような特徴的な模様がなく、色も薄い。


そこで、知人であるシンガポール大学のワイルドベタ研究家、タン教授とコンタクトを取った。すると今回、私の探索旅行に全面的に協力してくれることを約束してくれるという。さっそく私はシンガポールに飛んで、シンガポール大学にあるラッフルズ博物館を訪問した。ここは東南アジアに生息する様々な動植物の標本を一堂に集められた研究所でもある。


博物館の前ではがっしりとした体格のタン教授が笑顔で待っていてくれた。彼はシンガポール大学の教授で、東南アジア淡水魚研究の有名な学者である。今まで多くの魚を新種記載しており、先日に本誌で紹介された世界最小の魚、ドワーフフェアリーミノーことパエドキプリス・プロゲネティカの発見者の一人であり、論文記載にも参加している。また、東南アジアのフィールドに積極的に出向き、シンガポールのインディージョーンズと呼ばれるほどの活動家である。


さっそく私は東南アジア産淡水魚の標本庫へ案内された。暗い霊安室のような場所を想像していた私には以外だった。ものすごく広い部屋で明るく清潔で、驚くべき数の標本が収納されている。ワイルドベタの標本だけでもおそらく数百匹保管されている。彼はその標本庫の奥から小さな標本ビンを取り出してきた。ホルマリン漬けになったベタ・ルブラの古い標本である。

初めてその標本を見た印象は、"ん??ベタ・ピクタ?"、ヒレがちぎれているのもあるが、全体的に丸っこい感じで、頭の模様などからピクタに見えた。(実際ピクタの近縁種ファルクスはスマトラ北部に分布しているらしい。)少なくとも一部で言われていたインベリスには見えない。しかし、彼はフォーシー・グループだという。しかも、腹部には独特の太い縞が数本入っている。ますます謎が深まったまま、私はインドネシアのスマトラに飛び立つことになった。

シンガポールの近代的なビル群。毎度のことだが、インドネシアとの雰囲気のギャップには戸惑う。

ラッフルズ博物館の入り口。

東南アジア各地の淡水魚が保存されている標本室。標本庫のシステムは日本製らしい。

ベタ各種の標本ビンがずらりと並ぶ。ビンにはホルマリン漬けになったベタの標本が5~10匹ずつ入っており、ラベルには種名はもちろん、採集者、採集場所や時期などのデータが記されている。 これがベタ・ルブラの標本だ!ホルマリン漬けになっているため、生きているときの色彩はわからない。しかしこの独特の太い縞模様のベタは今まで見たことがない。


私はシンガポールから小型機に乗って、西スマトラ州の州都パダンに到着した。空港では、友人のムリヤディ氏が待っていた。彼はまさにワイルドベタのスペシャリストでスマトラはもちろん、カリマンタン各地でワイルドベタを発見、採集し当店に送ってくれている。先述したベタ・パリフィナも彼が最初に日本にもたらしたのである。彼の家での話し合いの結果、アチェ州は危険なので手前の北スマトラ州でベタ・ルブラを探索しようということになった。

パダンを出発した我々は、北スマトラ州各地で10日にもわたって各地を探索したが、メダンというスマトラ最大の大都市を擁する北スマトラ州は人口も多く、水田や宅地開発も進んでおり、自然がほとんど残っていない。わずかに残る自然の細流や湿地を探しても、見つかるのはベタ・インベリス、あとはラスボラとローチばかり。もっともスマトラ産のインベリスはタイやマレー半島産とは違い、日本には入ってこないので超珍品なのだが、ルブラという大目標を持つ我々には全く眼中になかったのである。

それにしても北スマトラ州でルブラを発見できなかった私は悩んだ。北スマトラ州で発見できなかったら、残るはアチェ州である。後述するが、アチェ州は非常に危険な地域である。しかも、アチェに行ったからといってルブラが見つかる保証はない。しかし、今回の旅はルブラ一本に絞っている。ルブラを見つけなければ、手ぶらで帰らないといけない。

ムリヤディ氏に相談すると、"君次第だ"という。彼はやる気満々である。なんとしてもアチェでルブラを見つけなければいけない。私はそう決意して、我々はアチェ州に向かった。



西スマトラ州パダンにあるミナンカバウ国際空港のターミナルビル。ミナンカバウとは西スマトラ州の主要民族で、屋根は独特のミナンカバウ様式が施されている。

今回の採集に参加したメンバー。左がワイルドベタのスペシャリスト、ムリヤディ氏、真ん中が助手のメリー、右が通訳のリカ。


ナングロ・アチェ州は北スマトラ州のさらに北西にあり、スマトラ島西北端の州である。ここはつい最近まで、インドネシアからの独立を目指す自由アチェ運動(GAM)という反政府ゲリラと、それを阻止するインドネシア国軍との内戦で住民1万人以上が犠牲になっている。3年前のアチェ大地震と津波によってゲリラは壊滅したが、バラバラになった兵隊が盗賊と化して、さらに危険になったのである。

我々はアチェ州に入った。北スマトラ州に比べると、人は少なく、原生林が広がっている。我々は喜び勇んでベタがいそうな小川を次々と捜索する。ところが、ベタはおろかグラミーもいない。採れるのはラスボラばかりである。やがて夕方になり、町に入りホテルにチェックインしようとしたのだが、そこで事件が発生した。ここがインドネシアの怖いところだ。


ホテル側が、外国人は警察署の許可がないと泊めないという。仕方なしに警察署に許可を求めにいくと手数料と称して法外な金額を要求してきた。仕方なしに、アチェでの宿泊をあきらめるからというと、チェックしていた私のパスポートを返さず、パスポートを返してほしかったら、金を払えという。なんてこったと思ったが、ここアチェ州は歴史的な経緯によりインドネシア政府から特別州という地位を与えられ、イスラム法による大幅な自治が認められている。こじれると面倒だと判断したムリヤディ氏は、ともかく金を払ってアチェ州から脱出しようという。


盗賊を取り締まる警察自体が盗賊同然では危険極まりない。しかたなく大金を払って町を出た我々だったが、あたりはすっかり暗くなっていた。夜中のうちにアチェを離れ北スマトラ州へ帰っていくつもりの我々だったが、途中で道に迷ってしまった。朝方にわかったのだが、どうやら我々は逆にアチェ州を北上していたようだった。

北スマトラ州とナングロ・アチェ州の州境にあるゲート。さあ、いよいよここからはアチェ入りだ!

ナングロ・アチェ州にある田舎町。ここで文中にある面倒な事件が起きた。


翌朝、すべてに失望した我々は、もと来た道を北スマトラ州へ向けて車を走らせていた。アチェ南部の霧深い山間部を走っていると、一晩寝ずに運転していたムリヤディ氏がふと車を停めて外に出た。私もあとを追って外に出て道沿いを歩いていくと、彼はじっと何かを見つめている。私には濃霧ではっきり見えない。しかし、しばらくすると朝の陽光で霧が薄れてきた。するとそこには美しいブラックウォーターが流れる小川があるではないか。

やがて霧が晴れてきて徐々に視界が広がってくると、広大な森林が姿を現したのである。ここはゴムのプランテーションで、ゴム林の奥からブラックウォーターが染み出てきているのである。ゆるやかな流れのなか、赤褐色の川底には独特の丸い葉をつけたバークラヤが美しく繁茂している。

我々はゴムの樹林を分け入り、気を取り直して網を入れてみた。しかし、やはり採れるのはラスボラばかり。やはりここもダメかと思っていると、なんと私が1.5cmほどの茶色いベタの稚魚を発見。しかし、小さすぎて何の種類か全くわからない。ところがしばらくすると、離れた場所で採集をしていたムリヤディ氏が絶叫。

"Betta! Very Very Red!!"あわてて私は彼の網の中を見ると、燃えるような赤色にグリーンメタリックがはいる極彩色のベタがいるではないか!! 我々はしばらくのあいだ、このあまりの美しい体色に我を忘れて見入っていた。体長4cmほどで、体全体はひたすら赤く、腹部にはヤマメのパーマークのような独特の太い縞が数本入り、背中部分の鱗はグリーンメタリックに輝いている。すらりと伸びた各ヒレも赤く染まっている。袋に入れて、標本の写真と見比べてよく調べてみると、その腹部の太い縞や頭部のメラニンパターンは間違いなくルブラだった。こんな美しいベタだったのか!! 

ほんと起死回生の出来事だった。我々はこの十数日のあいだ、走破距離にして2000km以上、ただ目標をベタ・ルブラ探索一本に絞って必至になって探してきた。にもかかわらず神にも仏にも見放されたかのように、全く見つからず、昨夜の災難だけが降りかかってきた。しかし最後の最後にスマトラの北の果て、アチェの奥地で勝利の女神が微笑んだのである。

私はふと遠くを見た。はるか遠方には南アチェの名峰ルセール山が見えた。3000m級の山峰には未開の原生林が広がっている。ルセール山に降った雨水は地中深くに浸み込んでゆく。長い年月をかけて、やがてさまざまな樹木のエキスを吸い琥珀色のブラックウォーターとなって、いま再び大地に湧き出ているのである。我々が100年ぶりの発見と騒いでいるのをよそに、ルブラは太古の昔からずっとこの琥珀色の水の中で命脈を保ってきたのであろう。人知れずにひっそりと。

ついに見つけたベタ・ルブラの生息地だ!ゴムのプランテーションをゆったりと流れるブラックウォーターの細流に生息していた。

スマトラ独特のブラックウォーター。

採集時のベタ・ルブラ。色彩や模様のパターンが非常に独特で、一目で今まで見てきたベタとは違うことがわかった。

発色していない状態のベタ・ルブラ。飴色の体にくっきりと黒いバンドがはいる。これはこれで美しい。


私は今回も含めて6回にわたってスマトラでワイルドベタを探索している。
しかし、このたびのルブラ発見は過去最大の成功であったと同時に、最も神経をすり減らす旅であった。日本の外務省からナングロ・アチェ州への渡航延期勧告が発令されているなかでの旅は緊張の連続であった。私は過労とストレスで帰国後、原因不明の高熱によって入院する羽目になったのである。同州は現在停戦合意がなされたが、一方で反政府軍の元幹部が州知事に就任している。
謎のベタであったルブラがアクアリウム界に正体を現したのは無上の喜びである。しかし、現地の情勢いかんでは再び幻のベタとして熱帯雨林の奥地に消えていくかもしれない。

ベタ・ルブラ発見を喜びあう、タン教授(右)と私。今回採集したルブラは、私の名前とともにラッフルズ博物館で永久に保存されることになった。非常に光栄なことである。

飼育に関して
ベタ・ルブラはフォーシー・グループに属し、飼育もベタ・フォーシーに準ずると考えられる。4~5cmの小型種である本種は30cm程度の小型水槽でのペア飼育が最適である。ブラックウォーターリーフやアルダーシードなどを用いて琥珀色に色づいた弱酸性の軟水を用意し、スポンジフィルターなどで良好な水質を維持することが大切である。生き餌を好むが慣れれば人工餌も食べる。繁殖はマウスブルーダーであることが確認されている。


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インドネシアのベタ事情

afsffs

 


インドネシアは、まさにいま経済絶好調である。
首都ジャカルタでは、高層マンションや巨大ショッピングセンターが続々と建設されており、道路は車であふれ、その発展ぶりは目を見張るものがある。


アジアの発展と言えば、近年とかく中国とインドばかりがクローズアップされるが、この国の国土面積は日本の5倍でアジアで3位、人口は2倍で世界でも4番目に多い大国である。
従来観賞魚といえば、この国にとっては海外への輸出品でしかなかったのだが、近年台頭してきた富裕層たちによって、新たな趣味の対象となってきており、またその熱の入れようは、日本人の比ではない。

今回は、この国のなかでも特に最近人気急上昇中のベタに焦点を当てて、その熱狂ぶりをレポートしたい。

 
会場には、756匹とものすごい数のショーベタが並んでいる


ジャカルタのスカルノ・ハッタ国際空港に到着した私を出迎えてくれたのは、地元のアマチュアブリーダー、ヘルマヌス(Herumanus)氏であった。彼はインドネシアにおけるベタ愛好家の代表者的存在で、アメリカにある世界最大のベタ組織IBC(インター・ベタ・コングレス)のコンテスト公式審査員で、その傘下のBCI(インドネシア・ベタクラブ)の会長を務めている。また彼はベタの普及に非常に熱心な人物で、今回行われるインターナショナル・ベタショーに合わせて、私をジャカルタに招待してくれたのだ。さっそく私は、彼の自宅にあるベタファームを見せてもらった。

ハーフムーンはもちろん、プラカットやクラウンテールが所狭しと小型水槽で育成されている。趣味と言っても、このクラスの人物になると、ベタの水換えなど基本的な世話は、すべて使用人が行っている。実際のところ彼は、インドネシアでベタの趣味が盛り上がる前から、ショーベタのコンテストブリーダーで、アメリカはもちろん、スイスやドイツのコンテストで優勝した実績を持っている。彼のファームで、とても珍しいベタを見つけた。 アルビノのベタである!ベタの世界では、アルビノベタが系統としてはまだ存在せず、私もいままで2回しか見たことがない。

彼の友人が通常のプラカットを繁殖させた際に、偶然出現したものをプレセントしてくれたそうだ。オスのプラカットで、プラチナホワイトの体色、目は完全な赤色である。
ただ残念なことに、アルビノは基本的に視力が弱く、とくにこの個体はほとんど目が見えないようで、泡巣を作らないし、メスも識別できないようで、繁殖させて次世代を得るのは不可能だとのこと。






このたびはジャカルタ中心部にある、ワールドトレードセンターにて地元の観賞魚フェアーが行われていた。アロワナやフラワーホーン、ディスカスなどはもちろん、金魚や爬虫類まで数多くのブースがあり、さまざまな生物が展示されていた。

ヘルマヌス氏が設営したベタのブースでは、たくさんの種類のワイルドベタが展示されていた。彼は近年ワイルドベタの繁殖にも興味があり、彼が所有するビルの一室にワイルドベタの繁殖室がある。展示されているのはすべて彼のコレクションである。

日本でも知られているようなワイルドベタはもちろん、今回私も初めて目にしたユニマクラータ・グループの新種ベタやマクロストマのニュータイプなども展示されており、ワイルドベタマニアにはたまらないブースであろう。

多くのワイルドベタの生息地はインドネシアに集中しているが、地元の人々はこのような魚が自国に存在することを全く知らない。彼は、今回地元の人にこのことを啓蒙したかったそうだ。

 
大きなグリーンスポットが美しいベタ・ブロウノルム。観賞魚フェアーの会場にて

日本未入荷のワイルドベタの一種。ユニマクラータ・グループだが、体がベタ・ルブラのような黒いバンドが数本はいる。観賞魚フェアーの会場にて


さて、今回この観賞魚フェアーにあわせて、ショーベタの国際コンテストが行われた。アメリカに拠点を置くIBCが公認する国際コンテストで、その傘下で地元のインドネシア・ベタクラブが主催である。IBC公認のコンテストでは、IBCの公式審査員のみが、その審査基準によって出品されたベタを審査する。
参加した公式審査員は、今回の審査員長ヘルマヌス氏、同じく地元インドネシアのIndorata氏、シンガポールのEdwin,Lyon両氏、タイのJeasda氏、フィリピンのGary氏の6名である。
1日目が出品魚のエントリーであったが、出品魚を持って来たたくさんの人が並び、延々とエントリーの手続きが行われる。出品されたベタを水槽に入れて部門やクラス別に並べるだけでも大変な作業である。


今回出品されたベタは、インドネシア、マレーシア、シンガポール、タイ、フィリピンの5カ国から、なんと756匹にものぼった。日本のローカルコンテストでの出品数が100匹ぐらいと聞いているので、この規模の大きさが想像できるであろう。さらに驚かされるのは、IBCのベタ出品部門の大きさである。

通常日本では、ショーベタと言えばハーフムーンのことを指すが、IBCでは、ハーフムーン部門はもちろん、ハーフムーンダブルテール、クラウンテール、プラカット、ジャイアントプラカット、メス、はたまたワイルドベタ部門までもあり、さらにそれぞれの部門のなかから色彩別のクラスに分かれている。ワイルドベタも、泡巣タイプ、小型マウスタイプ、大型マウスタイプのクラスに分かれている。

さて、公式審査員は2人1組になり、各クラスの審査基準にのっとって、出品されたすべての個体に点数をつけてゆく。これまた大変な作業である。

(1)体とヒレと全体の大きさ、全体の均整、ヒレと体の割合、体と鰭と全体の形状、といった全体の形質と状態とその動き。
(2) 背ビレ、尾ビレ、尻ビレ、腹ビレ、胸ビレ、の大きさ、均整、割合、形状。


それに加えて各部門特有の基準があり、各クラス別のカラー基準があり、さらに失格事項などもある。もちろんこれらのIBC審査基準と審査方法をまとめた本があり、私も読んだことがあるが、とても細かく多岐にわたっており、しかもすべて英文なので、完全に理解するのはなかなか困難である。

実際のところ、公式審査員になるには、セミナーを受講して、筆記試験に合格し、3回のIBC公認コンテストの審査トレーニングを受けなければならない。当然ながら、審査員の審査は真剣そのもので、前日まで冗談を言って私をからかっていた彼らであるが、審査中は話しかけても返事すらしてくれない。むしろ、私の取材は邪魔というか迷惑そうであった。

 
ショーベタ・コンテスト出品魚のエントリーが始まった。出品者たちの意気込みが伝わるだろうか?

各審査員は、懐中電灯を使って細部まで観察し、採点していく

最終的には、審査委員全員による合議制で優勝魚が決定される。かなり厳正な審査である

審査中、一般の見物者は完全にシャットアウトされたなか、私は関係者と称して勝手に入っているだけなので当然であるが。2人1組の審査員は、一匹一匹時間をかけて観察し、細部はペンライトなどで照らしてチェックして、用紙に点数を記入してゆく。審査が終わると点数の多い順に、各クラスの優勝、準優勝、3位までを選出してゆく。そして、今度は審査員たちの合議によって、各クラスの優勝魚から部門優勝の魚を選ぶ。さらに同じく合議制で、各部門の優勝魚のなかから総合優勝の魚を選ぶのだ。審査は2日目に行われるが、朝から始まって夕方までたっぷり1日かかったのである。


入賞したベタは、どれも見事で、息をのむ美しさであった。
なにしろ絵に描いたようにすべて完璧で、欠点が見当たらないのだ。それに、闘争性は抜群でヒレを目いっぱいに広げて威嚇するのはもちろん、その姿を我々に美しくアピールしているようで、まさにこれこそがショーベタなのかと改めて感心させられた。

3日目は、入賞者の表彰である。それぞれ部門下での各クラスの優勝者、準優勝者、3位入賞者が表彰され、そのあと各部門の部門優勝者の表彰と続く。なにしろ全員で120人もの受賞者がいる。そして最後には総合優勝者がトロフィーを受け取って、観客から大きな拍手を受けていた。じつは、このトロフィーを手渡したのは、アルファマートというインドネシア最大のコンビニエンスストアーの社長である。彼は、個人的にはフラワーホーンの愛好家で、今回の観賞魚フェアーを企業として主催した。まるでセブンイレブンやローソンの社長が熱帯魚マニアなのと同じであるが、ちょっと日本では考えられないことであろう。

ちなみに、総合優勝を果たしたのは、地元の若い女性である。見た目はどこにでもいそうな高校生か大学生ぐらいであるが、彼女はすごい。このコンテストにおいて、7つのクラスで優勝し、プラカットの部門優勝を果たし、そしてグランドチャンピオンに選ばれたのである。ほかにも、シンガポールからやってきた女性も、3つのクラスでそれぞれ優勝、準優勝、3位入賞を果たしていた。そういえば当店のお客さまも、最近女性のほうが多い。ベタはさまざまな観賞魚のなかでも特に女性にも人気があるジャンルなのだといえるだろう。

いずれにせよ、このインターナショナル・ベタショーは過去に例を見ない盛大な大会となったそうである。これはインドネシアはもちろん、東南アジア全体のベタ飼育の盛り上がりがもたらしたものであろう。日本はショーベタの世界では、完全に東南アジアに後れをとっている。

次回開かれるインターナショナルコンテストには、ぜひ日本の愛好家にもショーベタを出品してほしい!それを私がサポートしなければならない!そういう強い思いを抱いて、私はこの熱い街を離れたのである。

 
ハーフムーン部門、ブルー・クラスで優勝した個体。
ヒレが見事な円を描いている

ジャイアントプラカット部門で優勝した個体。黄金に輝くゴージャスな体色

グランドチャンピオンは、地元の若い女性であった。カップを手渡しているのは、スポンサー企業であるインドネシア最大のコンビニチェーン、アルファマートの社長

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ベタ・スプレンデンスの謎

afsffs

 


二番煎じという言葉がある。わたしの場合、昨年のベタ・ルブラ発見に気を良くして、同じようなことをしても必ず味が落ちるということである。だいたいそもそも、みんなが期待するようなトピックス的な魚などそう簡単に見つかるものではない。

そこで今回は初心に戻って、タイに分布するワイルドベタであるとともに、今日巷でみられるトラディショナルベタやショーベタ、プラカットなどあらゆる改良品種のベタの元祖ともいえるベタ・スプレンデンスの謎にせまりたい。そして後半は、すばらしいニュータイプのワイルドベタをご紹介する。



タイにはチャオプラヤ川という大きな河がある。以前日本では、この河をメナム川と呼んでいたが、メナム(タイ語の発音だと”メェ~ナァーム”といった感じ)という言葉自体がタイ語で川の意味なので、現在ではチャオプラヤ川と呼ばれている。さて、首都バンコクを流れ、タイランド湾に注ぐこの川を遡っていくと、いくつかの支流に分かれたりしながら、タイの中央部を縦断して北部の山岳地帯に伸びており、アジア随一の大河メコン川につながっている。そして、これらの川の流域に広がる湿地帯こそが改良ベタの野生種、ベタ・スプレンデンスの”本来”の分布域なのである。

なぜ”本来”なのか?これらの川の流域中南部は、広大なデルタ地帯となっており、世界有数の稲作地帯を作り出している。かなり昔にこの地域の農民たちが、自然界でベタのオス同士が縄張り争いすることに目をつけた。そして、農作業の合間に野生のスプレンデンス種を捕まえて、オス同士を戦わせ、賭けをすることを始めたのである。最初は自然界で捕まえた個体同士で戦わせていたのだが、そのうちより強い個体を作出するために大きくて強健に品種改良された今日のプラカットが用いられるようになった。そしてその後、このギャンブルは他地域にも波及していくことになる。


タイ東北部イサーン地方の人はベタ・スマラグディナを、タイ南部のマレー半島の人たちはベタ・インベリスといったそれぞれ地元で採れるベタを闘魚としていったのである。さらには地方との交流戦がおこなわれるようになり、東北部や南部のギャンブラーは、手塩にかけて育てた地元のベタを中央部に持ち込むようになったのだ。しかし、そこでギャンブラーとしては当然のこと、負けたり、弱い個体は必要ない。放流することになる。

ところが、プラカットを自然に放流することによって、野生種との交雑が起こることとなる。持ち込まれたスマラグディナ種やインベリス種までもが放され自然交雑していったのである。こうして結局、改良ベタの元祖、ベタ・スプレンデンスの純系野生種はタイ中央部から姿を消していった。

昨年12月、私はタイに行っていた。ショーベタの用事で出かけたのだが、たまたま一人の人物と知り合いになった。彼はタイにおけるワイルドベタの研究家で、各地へ行って、ワイルドベタを採集して研究している。また大学の教授にも採集個体を提供したりして、情報交換をしているのだ。私も彼も”ベタバカ”なので、すぐに親しくなり、数日一緒にベタファームを見に行ったり、いろいろ話をしたのだが、そこで彼から、とても興味深い話を聞いたのである。

私は以前から、闘魚はタイ全土で行われていると思っていた。ところが、彼の話によるとチェンマイ県を中心とするタイ北部山岳地帯の人々には古来闘魚をする文化がなく、北部なら純系の野生種がいるというのだ!俄然、私の血が騒ぎだした。本種の故郷、タイ北部の山岳地帯に思いを馳せた。“ベタ・スプレンデンスの野生種を見たい!”そこでこのたび我々は、チェンマイのさらに北、タイ王国最北端の県であるチェンライまで行って生息地を訪れることにしたのである。

 
ベタ・スプレンデンスのいる湖は、こんな山道の先にある。

山中に姿を現した山上湖

湖の奥に広がる湿原、ここがベタ・スプレンデンスの生息地だ!



バンコクから長距離バスで12時間、我々は霧深い山岳地帯にかこまれた町、チェンライに到着した。チェンライはタイ最初の統一国家であるランナタイ王朝が都をおいていたこともある由緒ある町で、タイ中央部とはちがい静寂でとてもおちついた雰囲気である。人々の顔立ちも上品で、服装や建物もどこか洗練された感じがする。

さっそく我々は現地の案内人を伴って、山間にあるスプレンデンスの生息地に向かった。小雨が降るなか雑木林を歩くこと1時間、突然美しい湖が現れた。

そこは山上湖で、その奥には山間に沿って湿原が広がっていた。すると案内人の女性が独特の形をしたざるのようなもので、水がわずか10cmほどの深さしかない湿地からベタを採って見せてくれた。見た瞬間私が感じたのは“小さい!”ということであった。

スプレンデンスの原種というと、闘魚であるプラカットのような精悍でずんぐりしたものを想像していたのだが、私が出会ったこの野生種は、プラカットよりもはるかに細身で小柄、そして地味な色合いながらもどこか可憐な雰囲気を漂わせていた。これがあらゆる改良品種のベタのルーツなのか!

袋に入れて見てみた。レンガ色を帯びた地色の体表にはうっすらとスモーキーなブルーがはいり、ヒレは軟条にそって赤く染まっている。そして、エラブタにはベタ・フォーシーのような鮮紅色といえる赤いラインが2本入っていた。同伴したバンコクの友人が言うには、この赤い2本のラインこそが野生種の特徴だという。

確かに、同じくタイに分布するベタ・インべリスやスマラグディナにはこの特徴がなく、こんにちの改良品種のベタにもほとんど見られない。

意外なことであるが、今回の私には以前ベタ・ルブラを発見した時のような興奮はなく、ただありがたい御本尊に接見したような神妙な気持ちになった。

気が遠くなるような年月を経て、こんにちの改良品種がつくられたのだが、この野生種たちがすべての出発点だったのか・・・と。

 
採集してくれた案内人の女性。独特の網を使って採集する。

採集したベタ・スプレンデンス野生種のメス

採集したベタ・スプレンデンス(Betta splendens)野生種のオス。改良ベタのルーツともいえる魚だ

帰国後、水槽に入れて撮影したベタ・スプレンデンス

スプレンデンスの案内人と別れて、我々は次の目的地に向かった。そこはタイの人たちがイサーンと呼ぶ、タイ東北部である。ローカルバスに乗って、こんどは14時間、距離はバンコク~チェンライよりも短いのだか、北部の山岳地帯から細く曲がりくねった道をイサーンへ向かってゆっくり降りていくのである。

イサーンはしっとりとした雰囲気である北部の山岳地帯とはまるでちがって、太陽が照りつける、暑く乾いた大地が果てしなくつづく台地である。メコン川をはさんで対岸はラオスなのだが、このイサーンもラオス文化圏に属する。料理一つをとってみても、もち米を主食とし、ラープと呼ばれる生の牛肉のミンチを香辛料と混ぜたものや、まだ青いパパイヤの実を千切りにして唐辛子や生の沢ガニの味噌などと和えたソムタムといった独特の料理がある。またネズミや昆虫類を好んで食べるのもこの地方の人たちである。



このイサーンにはベタ・スマラグディナというスプレンデンスとは同じグループに属するブルーグリーンのワイルドベタが広く分布している。生息域が広大なので、地域による色彩バリエーションなども見られるようだ。しかし、いままで発見されてきたスマラグディナとは全く異なるタイプが生息する場所があるという。こんどはこのイサーンの人たちに案内してもらうことになった。

車に揺られて3時間、何の変哲もない平野に連れて行かれた私は困惑した。そこは透明できれいな水が流れている小川である。ご存知の方もいるかと思うが、多くのベタの仲間、とくに泡巣をつくるタイプのワイルドベタは流れがほとんどない止水の湿地に生息している。ところがそこは、完全な流水である。しかもかなり流れがはやい。私は現地の人に“こんな所にはベタはいないよ”というと、皆笑っている。
ひょっとすると、この人たちはベタを別の魚と勘違いしているのではないかと思っている私を尻目に、彼らは丸いざるで魚を採りはじめた。

“やれやれ、14時間もかかってバスに乗ってやってきたのになんてこった”とがっかりしていると、彼らの一人がざるのなかを見ろという。
 “エエ~ッ!!”
私は驚嘆した。たしかにベタである。しかもスマラグディナっぽいグリーンのベタである。なんでこんなところにベタがいるのか??よく見ると、いままで見てきたスマラグディナとは全然違う。まず体が流線型でかなり大型である。体色は全身メタリックグリーンで、通常のタイプのような赤色があまり入らない。特筆すべきはヒレの長さである。各ヒレが伸長しているのだが、とくに腹ビレがとてつもなく長く、尾ビレの付け根の下あたりまで伸びているのもいる。“なんじゃこりゃ!”袋にいれたベタを私は唖然として見つめていた。

そもそもこんな流れのはやい小川で、どうやって泡巣をつくって産卵するのか?ひょっとして口の中で卵を保護するマウスブルーダータイプなのか?と混乱している私の頭を冷静に整理しようとしていると、現地の人が泡巣があるから見ろという。それは小川の岸に生い茂っている草のなかにあった。たしかにそこは、水がよどんでいて、しかも草にまとわりつくように泡巣があって、その泡巣の下には、孵化したてと思しき稚魚がわらわらとしている。まあ、これなら泡巣をつくって繁殖できるよな。と思ったものの、こんな早い流れの中で生息しているベタには感心するしかない。

このスマラグディナは、現地でパーカーッ・テンと呼ばれている。テンとはタイ語で“踊る”という意味である。大きな容器にオス同士を入れると、激しく体をくねらせて、長い腹ビレを天女の羽衣のように振り乱し闘争するそうである。流線型の体型と伸長したヒレは流水に適応して進化したものなのだろう。 私はこのベタをベタ・スマラグディナ“グリーンダンサー”と命名した。

彼らが言うには、このタイプは広大なイサーンのなかでもここにしかいないらしい。ほかの同じような環境の場所を探したが、この場所以外で見つけたことがないそうだ。タイではもう未発見のワイルドベタはいないだろうと思っていたのであるが、まだこんな魅力的なタイプがいたとは、私も感激であった。そして、我々はこの収穫を得て、嬉々としてバンコクへ戻るバスに乗ったのである。

 
ベタ・スマラグディナ”グリーンダンサー”の生息地。草原を流れる綺麗な小川である

ベタ・スマラグディナ”グリーンダンサー”の泡巣。流れのよどんだ場所につくられていた

採集したベタ・スマラグディナ”グリーンダンサー”(Betta smaragdina)のオス。綺麗なグリーンスポットが入り、腹ビレとしりビレが見事に伸長している

採集したベタ・スマラグディナ”グリーンダンサー”のペア。上の綺麗なグリーンスポットがはいっているのがオス、下がメス

帰国後水槽で撮影した、ベタ・スマラグディナ”グリーンダンサー”。流水に棲んでいるせいか、通常のスマラグディナとは運動性能が違う



我々は、疲れた体を長距離バスのシートに投げ出して、バンコクへのまたもや長い道のりの旅程にいた。長い時間を経てバスはイサーンの台地を降りてゆき、バンコク近郊のハイウェイを走っていた。もう少しでバンコクに戻れる私は、スプレンデンスの生息地の風景や“グリーンダンサー”がヒレを広げて舞う姿を想像しながら、うつらうつらと寝ていた。

すると突然、“ザザーッ”という大きな音とともにバスが横滑りをしはじめるではないか!あわてて目を覚ました私の前方には、無いはずの木々がフロントガラスの向こうに姿を現した。そして次の瞬間、“ガシャガシャーン”という轟音とともに、私はひっくり返ってぺしゃんこになったバスの中で体を投げ出されていた。とっさのことで、一瞬何が起きたか理解できなかったが、潰れた狭いバスの中から必死になって這い出して外へ脱出した。

あらためてバスを見ると完全にひっくり返って大破していた。そして、周りには倒れたままの人、足がざっくり裂けて泣き叫ぶ女性、足を骨折したのか、その場でうずくまる人たち・・・阿鼻叫喚と化していた。我々は呆然と立ち尽くした。


無事だったバスガイドの男性も、あまりの出来事にオロオロするだけであった。だいぶ時間がたってからレスキュー隊が現れて、まだバスの中で取り残されている人を救助しはじめた。意識不明の人や重傷者も担架で運ばれて行き始めた。警察による乗客の尋問も始まった。しかし、レスキュー隊よりも先にテレビ局のレポーターがやってきて、この状況でうれしそうに私にインタビューしてきたのには閉口した。

幸い我々は無事だった。私は奇跡的にも全く無傷であった。しかし、あとで聞くと死者も出たらしい。まったくおそろしい事件だった。特に海外では危険がつきものである。みなさんも注意していただきたい。 

 
とんでもない事故にもあった


 



TBCベタコンテスト

afsffs

 


日本では一般的にショーベタというとハーフムーンタイプのベタを思い浮かべることが多いと思うが、ほんとうはショー(コンテスト)に出品できるレベルのベタなら、どんなタイプのベタでもショーベタである。
実際IBCのコンテストでは、「ハーフムーン」、「フルムーン(ハーフムーンのダブルテール)」、「クラウンテール」、「プラカット」、「ワイルドベタ」、「その他(ジャイアントベタなど)」という6つの部門に分かれ、さらにその下にカラーや種類別のクラスが多数存在する。



今回開催されたコンテストも、前回のジャカルタでのコンテスト(本誌3月号に掲載)同様、アメリカに拠点を置くIBCが公認する国際コンテストで、その傘下で地元のTBC(タイランド・ベタクラブ)が主催している。前回も述べたが、IBC公認のコンテストでは、IBCの公式審査員のみが、その審査基準によって出品されたベタを審査する。

今回は審査員長であるTBC会長Jesda氏をはじめに、審査員は、地元タイのPeurmsak氏、インドネシアのJoty氏、シンガポールのHsu氏とEdwin氏、フィリピンのGary氏、そしてオーストラリアのJodi氏の計7名である。

この公式審査員になるには、まずセミナーを受講して、見習い審査員として2年以内に3回のIBC公認コンテストでの審査トレーニングを受けなけらばならない。そして最後は、筆記試験に合格することが条件である(3月号参照)。

我々日本人にとって(タイ人も?)難関なのは言葉の壁である。IBCの審査基準と審査方法を書いた本があるのだが、全部英文で書かれており、最後の筆記試験も英語である。なにしろ審査員同士の会話はすべて英語なので、基本的に英語ができる人でないと審査員になれない。私も英語がさほど得意なわけではないので、審査員になろうという気はなかったのだが・・・。

 
右から、公式審査員のインドネシアのJoty氏、フィリピンのGary氏。そして審査内容を記録しているのが私。

こちらは、ジャイアントショーベタ、ジャイアントクラウンテール、ジャイアントプラカットのブースの一部。巨大なベタに合わせて、通常よりも大きな水槽で泳いでいる。


今回のコンテストは、TBC会長Jesda氏の自宅の中庭で行われ、厳選されたハイレベルのブリーダーコンテストといった印象であった。自宅といっても、バンコク中心部の超高級住宅地にある大豪邸である。



ここがコンテスト会場の一部。水温にデリケートなワイルドベタは、別にエアコンのある室内で展示された。

その会場でコンテスト目録を読んでいると、なぜか私の名前が載っている。何のことかとよく見てみると、アプレンティス・ジャッジ(見習い審査員)と書いてあるではないか。私は自分が知らないうちに、審査員トレーニングをすることになっていたのだ!みんなに訊くと「当然だろ、何しに来たんだ」というではないか。

さて、問答無用で他の審査員からセミナーを受講した後、私は2人の公式審査員と一緒に審査に参加した。審査員は2人一組で、今回は3組が各クラスごとに手分けして審査していった。

審査は減点法で各クラスの審査基準にのっとって、出品されたすべての個体に点数をつけてゆく。日頃ベタを見慣れている私であるが、なにしろ出品されているベタはレベルが高すぎて、欠点が見当たらない。それでも2人の公式審査員は、かすかな欠点をみつけて減点してゆく。たしかに説明されるとその減点の理由は理解できるが、ほんとうに1匹1匹真剣に細かく魚体の各部分を見てゆかなければならない。

炎天下の暑い中、集中力を維持するのは並大抵の仕事ではない。しかもベタを見過ぎて目が痛くなってくる。我々3人は1匹1匹時間をかけて観察し、細部はペンライトなどで照らしてチェックして、用紙に点数を記入していく。審査が終わると各クラスの優勝魚、準優勝、3位までを選出する。次に、全員の審査員たちの合議で、各クラスの優勝魚から、部門優勝のベタを選ぶ。さらに同じく合議制で、各部門の中から総合優勝のベタを選ぶのだ。

これも違う意味で大変である。同じヒレのタイプである部門優勝魚を選ぶのならともかく、総合優勝を決めるのには、ハーフムーンやクラウンテール、プラカット、はたまたワイルドベタなど、全然違うベタを比べなければいけない。いったい、どうやって比べればよいのか?

実際これはかなり時間をかけて、喧々諤々(けんけんがくがく)の議論がなされた末に決定されたのだが・・・。

 
ここではハーフムーンの出品魚が並んでいる。日本ではショーベタといえばこのハーフムーンを指すが、海外では数ある部門のひとつにすぎない。

ハーフムーンの各クラス優勝魚の中からハーフムーン部門の優勝魚を選ぶ審査員たち。部門優勝魚は点数ではなく、審査員の合議によって選出される。延々と議論が続けられる。

ペンライトで細部を照らしショーベタを審査する、地元タイのPeurmsak氏とオーストラリアのJodi-Lea氏の2人の公式審査員。



ハーフムーン・シングルテール部門パターンクラス準優勝。私はこの個体をクラス優勝させるべきと思った。
 
ハーフムーン・シングルテール部門ブラッククラス優勝。作出自体難しいメラノブラックでこんな個体は奇跡の出現ともいえる

プラカット部門AOCクラス優勝。美しいレインボーカラーのプラカット。
 
クラウンテール部門、ブラックオーキッドクラス優勝魚。尾ビレの先端(レイ)が交差するキングクラウンテールと呼ばれる銘魚。

プラカット部門ダブルテールクラス3位。ふたつに分かれた尾ビレの上下が均等で大きく広がり、全体的にもバランスの良い個体。これでも3位なのか・・・
 
ハーフムーン・ダブルテール部門ライトソリッドカラークラス3位。完璧だと思ったが、もっと完璧なのが優勝していた。

ハーフムーン・シングルテール部門優勝。最後までクラウンテールと総合優勝を争った個体。
 
このコンテストでの総合優勝魚。”全出品個体331匹の頂点”に立ったのが、このクラウンテール。

プラカット部門ダークメタリッククラス優勝。頭の先までメタリックブルーに染まる完璧な個体。
 
ハーフムーン・シングルテール部門ライトメタリッククラス優勝。誰が見ても美しい。


実は今回のコンテストには、試しに当店で販売しているベタをこのコンテストに出品していた。

ハーフムーンやクラウンテールなど改良品種では、本場タイにはかなわないだろうと思った弱気な私は、得意なワイルドベタで勝負してみたのである。日頃から当店の販売水槽で大切に飼育しているワイルドベタ3種、ベタ・マンドール、ベタ・タエニアータ、ベタ・アントニーを出品していた。

しかし何しろ今回は、突然の見習い審査員のため大忙しで、出品したワイルドベタのことなどすっかり忘れていた。表彰式の時でも、自分は関係ないとばかりに後ろの方で公式審査員の人たちと話をしていると、前のほうから私の名前を呼んでいるではないか。

何のことかといってみると、司会者からメダルを2枚、首に掛けられた。よく見ると、金メダルと銀メダルである!なんと私は、ワイルドベタ部門、マウスブリーディングタイプ中小型種クラスで、優勝と準優勝を獲得したのであった。優勝したのは、ベタ・マンドール、準優勝魚は、ベタ・タエニアータである。なんと日本人として初めての受賞であった。

 
ワイルドベタ部門、バブル(泡巣)タイプ中小型種クラスで出品されていたベタsp”マハチャイ”。素晴らしい個体だと思うが、入賞を逃した。かなりハイレベルなコンテストである。

ワイルドベタ部門、バブル(泡巣)タイプ中小型種クラスで優勝、つづいてワイルドベタ部門優勝も獲得したベタ・インべリス。さすが地元の魚は強い。

私が出品したベタ・タエニアータ。ワイルドベタ部門、マウスブルーダー(口内保育)タイプ中小型種クラスで準優勝を獲得した。
 
同じく私が出品したベタ・アントニー。フォルムは美しく、状態抜群だが、サイズが少し小さいということで入賞を逃した。



私がベタ・マンドールで獲得した、ワイルドベタ部門マウスタイプ中小型種クラス優勝の金メダル。まさに日本に初めての金メダルをもたらした証である。
 
私がベタ・タエニアータで獲得した、ワイルドベタ部門マウスタイプ中小型種クラス準優勝の銀メダル。初めての出品で優勝と準優勝を獲得したのは、これまた初の快挙とのこと。


今回のコンテストは前回(ジャカルタ)のような傍観者ではなく、見習い審査員になったり、はたまた出品したワイルドベタが優勝と準優勝を独占したりと大忙しであった。しかし、海外のベタコンテストで日本人として初めて優勝し、さらに準優勝も同時に獲得したのは大変光栄なことであった。また、同じ趣味を共有する者たちの集いがこれだけ楽しいものなのかと改めて実感した。こうやって、ベタという趣味の輪が広がっていくのかと、納得させられたような気がしたコンテストであった。

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スリランカの水辺をたずねて



我々の地球上には、さまざまな動植物が分布している。なかでも「ホットスポット」と呼ばれる地域がある。地球の陸地面積の3%にも満たない限られた場所に全世界の動植物の約半分が集中しているという、極めて生物多様性に富んだ地域のこと。そのひとつがスリランカである。しかもスリランカの国土を構成するセイロン島は、日本の九州程度の面積であるが、ユニークな気候区分をもっている。

北東部を中心に島の4分の3がドライエリアと呼ばれる乾燥地帯。残りの南西部がウェットエリアと呼ばれる熱帯雨林気候の地域である。このウェットアリアにこそ我々が求める種類の多くが見られるのである。

ただこの国には、つい2年前まで人々を悩ませていた大きな問題があった。仏教徒のシンハラ人と、ヒンドゥー教徒のタミール人との民族対立である。主要民族であるシンハラ人の統治に少数派のタミール人は従来から反発していた。そしてついにタミール人の指導者が1975年に「タミール・イーラム解放のトラ(LTTE)」を結成。スリランカ東北部にタミール・イーラム国の分離独立を目指して、内戦に突入することになる。

その後LTTEは、北部から東部に至る広い地域を支配した。そして一方で、首都のコロンボで爆弾テロを起こして大統領を暗殺したりと勢力を拡大してゆく。かつては豊かな自然と美しいインド洋の海を求めてたくさんの欧米人がバカンスにやってきていた。しかしこの内戦で、それら観光客たちの足は遠のき、観光立国であった経済も疲弊していった。

私が初めてこの地を訪れた2003年は、町中が厳戒態勢で、もちろん北部や東部へは行くことはできなかった。しかしやがて、内戦に大きなターニングポイントを迎える事件が起こる。2004年12月のスマトラ沖大地震である。

LTTEが支配する北部や東部は、スマトラ沖からやってきた津波で大きなダメージを負った。これによって弱体化したLTTEは、徐々にスリランカ政府によって追い詰められていくことになる。一昨年1月には政府軍がLTTEの拠点キリノッチを制圧すると、その後LTTEは実効支配地域のほとんどを失っていった。同年5月には指導者のブラブハラカンが自殺し、LTTEは敗北宣言をすることによって35年にわたる内戦はようやく終結した。

 

ここがマルプルッタ・クレッセリーの生息地。
生息数はとても少なかった


平和が戻ったこの島を久しぶりに訪れた私は驚いた。まずバンダラナイケ国際空港のターミナルビルが新しく近代的になっている。コロンボ市内に至る道沿いには、いたるところで新たなビルやショッピングセンターなどが建設されているではないか。

街は活気にあふれており、人々の表情も明るい。私は水産省や森林省を訪れ、旧知の高官とひさしぶりの再会を喜び合った。しかし残念ながら、以前大変お世話になった方の悲報を聞いた。かつて在大阪スリランカ領事館の名誉総領事を務めておられたネルソン・ウィッターナゲ氏。彼は3年前この地で亡くなられたとのこと。ご冥福をお祈りしたい。

このたびはスリランカの淡水魚や水草を探索する旅であった。先述したとおり、この島はホットスポットと呼ばれ、生物多様性に極めて富んでいる。それと同時に、この国では、他国で考えられないほど自然保護に熱心である。また一般の人々の意識も高い。

記録によると、紀元前3世紀に古代のデーバナンピヤーティッサ王が、島の中部ミヒンタレーに動植物保護区をつくった。後世の人も動植物を楽めるようにとの考えであったそうだ。なんと今から2200年以上も昔のことで、おそらく世界最古の動植物保護区であろう。現在でも、この島の動植物の多くはスリランカ政府によって保護されており、原則輸出禁止となっている。政府の許可なしでは、採集はもちろん、国外への持ち出しも不可能である。

空港においても出国時には、全員の荷物を開けてチェックする厳しさだ。私が現地に滞在していたときも、外国人がスリランカの固有種である薬草を持ち出そうとして見つかり、逮捕されたそうである。

私も一度、滞在していたホテルに許可書を置き忘れて外出していったことがあった。現地で水草を撮影中に付近の住人に警察へ通報された。幸い政府の高官に電話をして事なきを得たが、いかに自然保護の考えが、一般の人々にも浸透しているかを表す出来事であった。

 

この島は自然との距離が近い。
紅茶の木の間からも、ほら!
トラックに運ばれるゾウ。
スリランカならではの光景だ


採集したセイロンファイヤーラスボラ(Rasboroides vaterifloris)。
燃えるようなオレンジレッドである
 

さて、私たちがフィールドを行ったのは、主に西部州マツガマ近郊である。旅の目的は、マルプルッタ・クレッセリーの生息地を見ることであった。スリランカにのみ生息する珍しい小型アナバンティッドである。しかし、ほかにもいろいろな発見があった。

現地ではもちろん魚の種類によって生息する川がちがうのであるが、どの場所もすごく魚影が濃い。いろいろ見た中でも特に印象に残ったのが、セイロンファイヤーラスボラである。本種はスリランカの固有種で日本でも人気が高い。現地で見る魚はどれも美しいが、本種は別格であった。名前のとおり、燃えるような濃い赤色でありながら明るく派手で、しかも透明感がある。まるで良質のルビーを見ているようであった。



セイロンファイヤーラスボラの生息地。森の中を流れる細流だ
 
サトイモ科の仲間のラゲナンドラ(Lagenandra sp.)。大きな根茎をもっている


ついに発見した、クリプトコリネ・ボグネリ(Cryptocoryne bogneri)。光沢のある白い葉脈がはいる美しい緑色をした葉だ。おそらく現地の写真は日本初公開だと思われる
 
クリプトコリネ・ボグネリの花苞。コブラの鎌首を思わせる純白の花だ

旅の最大の目的であった、マルプルッタ・クレッセリーの生息場所を見ることも今回達成された。マルプルッタはベタなどに近縁の小型アナバンティッドで、独特の体型がかわいい人気種である。しかし生息数が少なく、現在スリランカ政府によって保護されており、原則輸出禁止である。なので日本では時折ヨーロッパでの繁殖個体が見られる程度の貴重な魚である。

訪れた生息場所は、クリアーウォーターが流れる砂利底の浅い細流で、私の予想とは大きくちがう環境であった。採集人が網を入れるが、なかなか採れない。その人によると、マルプルッタの生息数はとても少なく、100回網を入れて1回採れる程度だと言っていた。ようやく採れた個体を見せてもらった。黒っぽい飴色の体色をした小さな本種を見たときは、まさに宝石の原石を見つけたように思えた。

淡水魚だけでなく、クリプトコリネをはじめとする水草もこの島には多くの固有種が存在する。とくにクリプトコリネの固有種は、この小さな島だけに東南アジア全域にある種類数に匹敵するほどのたくさんの種類やタイプが存在するといわれている。とくに現在、保護種に指定され、日本で見る機会が少ないクリプトコリネ3種。

アルバ、スワイテシーそしてボグネリを発見することができたのは幸運であった。しかしどういうわけか、これら3種は、ほかのクリプトコリネとはちがい、限られた場所にしかなく、しかも群落では存在せず、ほとんど1株か2株づつ、ぽつぽつと見つかるだけでとても数が少ない。その気になれば、簡単に採り尽くせてしまう。保護されている理由もよくわかった。

今回とくに意外に思えたことがある。この地もボルネオ島など東南アジア島嶼部と同じ熱帯雨林気候でありながら、自然環境が大きく異なっていたことだ。私が見たところ、ブラックウォーターが流れる川はなく、もちろんピートスワンプもない。小さな島で、山が多いので低湿地が少ないのは理解できるが、どこへ行っても砂利底でクリアーウォーターが流れている。どちらかというと日本の川の雰囲気に似ていた。しかしその熱帯雨林らしからぬ、独特の環境が独特の魅力をもつ淡水魚や水草へと進化させたのだろうか。

 


スワイテシーと思われるクリプトコリネ(Cryptocoryne cf.thwaitesii)。セントポーリアを思わせる丸葉で独特の美しい模様をした葉である。私はここまで美しく、気品の高いクリプトコリネを見たことがない


ここが上のクリプトコリネ(C.cf.スワイテシー)を発見した渓流



念頭のマルプルッタ・クレッセリー(Malpulutta kretseri)。
スリランカの固有種で、現在スリランカ政府によって保護種に指定されている



帰国後、水槽で撮影したマルプルッタ。
特有の青黒い色がカッコいい魚だ


グリーンの葉が美しい。アルバと思われるクリプトコリネ(Cryptocoryne cf.alba)。花の写真も撮ったが、紛失してしまった。残念!
 
ハチェットバルブの仲間。ケラ・ラウブカ(Laubuca laubuca)。体表のメタリックが美しい


ラスボラ・ダニコニウス(Rasbora daniconius)。東南アジアのブルーラインラスボラに似てる


ジャイアントダニオ(Davario malabaricus)。東南アジアからインドにかけて分布し、スリランカにも生息している


コームテールパラダイスフィッシュ(Belontia signata)の幼魚。アナバンティッドの仲間で、これもスリランカの固有種だ


短い滞在であったが、この小さな島のしかも限られたエリアで、さまざまな淡水魚や水草を見ることができた。私の旅は満足度100%であった。

何度もふれるように、この島は豊かな自然を誇る。しかし人が住んでいないわけではない。むしろアジアでは珍しく、この国の総人口に対する都市人口の割合はとても少ない。つまり郊外や僻地にも比較的まんべんなく人が住んでいるようである。

実際ジャングルの中に足を踏み入れても、たいていどこかに民家があり、人が生活する息遣いが感じられる。しかし近年のインドネシアのように開発でどんどん自然が失われていく様子もない。かたや、町中でもふつうに野生動物を見かけることがある。いまどきそんな国があるだろうか?人も穏やかでとても親切である。居心地がよいことこの上ない。これからも永遠に自然と人間との蜜月関係が続く地であるよう祈りながら、私は後ろ髪をひかれる思いでこの地上の楽園を離れた

 

地元の採集業者。スリランカの人々は総じて親切だ

ベリトゥン島採集記




インドネシアの首都、ジャカルタにて地元のベタクラブ設立10周年記念の国際ベタコンテストが開催された。今年4月にIBC(国際ベタ連盟)の公式審査員になった私は、そのコンテストの審査員として招待されたのだが、これはひどいコンテストであった。多くの出品魚がトリミング(ヒレを切って整形している)されていて、片っ端から失格宣告を出す私にとっては、とても気分が悪いものであった。

そして、そのまま翌日モヤモヤした気持ちを引きずりながら地元の友人とともに、スマトラ方面のローカルエアー、スリウィジャヤ航空に搭乗し、ベリトゥン島へ向かったのだ。最初私にとっては、インドネシア滞在ついでの小島探索にすぎなかった。

ところが、ジャカルタから1時間のフライトで、ベリトゥン島の上空にさしかかった私はあせった。思っていたよりデカイ島である!2日もあれば踏破できるなどと考えていたが、とんでもない。空港に着いた私は、あわてて帰りのフライトをキャンセルし、1週間の滞在を決めたのである。
 
インドネシア、スマトラ島の西に浮かぶ、ベリトゥン島へ


ベリトゥン島は、スマトラ沖、バンカ島の東に隣する面積4,600平方キロメートルの島である。スマトラの周りにある島では、最も東にあり、カリマンタンにも近い。

このバンカ・ベリトゥン諸島は、スズが産出されることで有名で、世界の年間産出量の10%がこの島々から掘り出される。そのため、隣のバンカ島は島の形が変形するほど採掘されているらしい。

19世紀の初め、イギリスのラッフルズは、オランダに対抗してこのエリアに交易拠点を築こうと、ベリトゥン島、バンカ島、そしてシンガポールを候補に挙げた。最終的にシンガポールが海上交通の拠点として選ばれ、今日の繁栄があるが、候補を外れたベリトゥン島は、我々には幸い、今なお自然が残されている。

今回の旅の目的は、シンガポール在住の水草ハンター、ナカモト氏によって昨年ベリトゥン島で発見されたワイルドベタの不明種を確認することであった。彼の画像を見るとフォーシー・タイプのベタであるが、ナカモト氏によると、フォーシー・タイプにしては、かなり小さなサイズで、最初はコッキーナ・タイプのベタと誤認したほどだという。いずれにせよ、フォーシー・タイプの分布は、ベリトゥン島などスマトラ南部では今まで報告されていないので、大いに期待も高まる。



島の西部にあるホテルにチェックインした我々は、さっそく探索を開始した。この島もスズや石炭の採掘で、掘り起こされた跡が各地で散見されるが、まだまだ豊かな森が広がっている。道路わきの小川をみると、たくさんのクリプトコリネが繁茂していて、網を入れてみると、ベタ・エディサエやワセリータイプのベタがたくさん採れる。ラスボラやバルブなどコイ科の種類も豊富だ。

最初に見つけた珍魚は、ハーブビークの仲間である。黄色やライムグリーンに彩られた体側に2本の黒いラインがはいる。通常よく見られる種類とはちがい、口先が湾曲し、体側の模様も独特である。そして車を島の中央部に走らせると、真昼の炎天下に、涼しげな白い砂地で両脇にクリプトコリネが繁茂する美しい小川を見つけた。奥にはいると水深が深くなり、薄暗い森のなかで、樹木の木漏れ日が挿しこんでいる。

水中に水草が生い茂っている中を網ですくうと、とても綺麗なリコリスグラミーがはいってきた。なんと、どのヒレもグラデーション状に青く染まっている。リコリスグラミーの多くは、ヒレの色が2層や3層のリング状になっていることが多いが、真っ青のヒレをした種類を見たのは初めてである!

私は、この美しいリコリスグラミー(パロスフロメヌス)をパロスフロメヌスsp"ソリッドブルー"と命名した。おそらくベリトゥン島の固有種であろう。
 

パロスフロメヌス sp.〝ソリッドブルー〟の生息地。
澄んだきれいな水が流れている


パロスフロメヌス sp.〝ソリッドブルー〟を採集している私の友人
調子がのってきた我々は、島の東部に足を伸ばした。
ゴムのプランテーションの奥にある原生林を分け入ると、足元にごく浅い湿地があった。通常このような場所でブラックウォーターだと、赤系ベタと呼ばれるコッキーナ・タイプのベタがひそんでいる。しかしこの場所は、明らかなクリアーウォーターだったので、どうかなと思いながら、水底にたまった落ち葉ごと網ですくうと、見事コッキーナ・タイプのベタを発見。


採集したばかりの、パロスフロメヌス sp.〝ソリッドブルー〟。独特なブルーのグラデーションが美しい
 
ベタsp.〝ステラ〟を帰国後水槽で撮影。体側中央にブルーの斑紋が入り、メタリックの輝点が体側からヒレにかけて広がっている

グラスケースに入れてよく見てみると、隣のバンカ島に分布するベタ・ブルディガーラと同じように、ほかのコッキーナ・タイプのベタに比べ、背ビレの幅が広い。しかし、ブルディガーラ種にはない体側のスポットがあり、それも大きくはいっている。しかも体型が寸詰まり気味である。さらに魚が落ち着いてから再度見ると、体側からヒレにかけてメタリックの輝点が広がっている。おお、これは今までに見たことがないタイプのベタだ!コッキーナ・タイプのニュータイプだろう。これは、メタリックの輝点がひろがっていることから、星屑を意味する、ベタsp"ステラ"と名付けた。


翌日、島の中央部の新たな場所を探索した。昨日と同じような原生林を見つけ、中にはいると、やはり同じような湿地が足元に広がっている。"ステラ"がいるかもしれないと思い、網を入れると、やはりコッキーナ・タイプのベタがはいってきた。「ここにもいたか。」と思ったが、よく見ると大きさや体型が少し異なるのに気がついた。

グラスケースに入れて見てみると、ベタsp"ステラ"とは違い、胴長で、コッキーナ・タイプのベタにしてみれば大きめである。しかも体側にはスポットやメタリックの輝点がなく、全身がワインレッドに染まっている。あきらかに別種である。

なんと!同じ島に2種類の、しかも両方とも新発見のコッキーナ・タイプに属するベタが生息していたのだ!私はこのベタを、全身の赤さから、ベタsp"ルージュ"と命名した。さらにその湿地を探ると、ベタ・ベリカのペアを見つけた。ベタ・ベリカは、マレー半島とスマトラ島に分布するグリーンメタリックが美しい大型ベタである。やはりベリトゥン島はスマトラに属する島なのだと確信した。そのときは・・・。

そして我々は、原生林の横を流れている小川を探った。すると、網のなかで鮮やかな赤いチョコレートグラミーが目に飛び込んできた。なんだこれは!体後半部からシリビレと尾ビレの付け根までが真っ赤に発色している。あまりの衝撃で、何かの見間違いだろうと、ほかの個体を探してみると、一緒にいた友人が「イカン・チョコラット・メラー・スカリー!!(すごく赤いチョコグラだぞ!)」と叫んでいる。

 

クリプトコリネ・フスカと思われる花苞。スマトラ本島のものとは多少形状が異なるらしい


ベタ・ベリカ。スマトラ本島やマレー半島に分布する大型ベタで、全身がメタリックグリーンに輝く


ベタ.sp〝ルージュ〟の水槽写真。全身がワインレッドに染まる
 
ベタsp.〝ルージュ〟の生息地。原生林の中の浅い水たまりのような場所で、落ち葉の下に隠れている

ほかの個体を採ったが、どれもすごく赤い。さっそくグラスケースに入れてみるが、体の赤色は、すぐに退色してしまった。それでもシリビレと尾ビレの付け根には赤色が残っている。しかも、よく見てみると、これは、中央カリマンタンに分布しているセラタネンシス種ではないか!

ここには、カリマンタン系の魚も生息しているのか。なんと同じ島、しかも同じ場所にマレー半島・スマトラ系のベタとカリマンタン系のチョコレートグラミーが、一緒に生息していたのである。しかも新発見のコッキーナ・タイプのベタとともに。後日、シンガポール大学のタン教授に伺ってみると、たしかにセラタネンシス種に似ているが、体色の赤さが尋常ではなく、詳しく精査してみる必要があるとのこと。


帰国後、水槽で撮影。ものすごく赤いが、それでも現地採集時の色にはほど遠い
 
ベリトゥン島中央部のスファエリクティス sp.〝スーパーレッド〟の生息地


この島が、新発見種の宝庫だということはわかったが、今回の目標であるフォーシー・タイプの不明種を見つけることはまだ達成できずにいた。ここからは、目標を一本に絞り、我々は原生林にある湧水地を探しに丘陵地帯に移動してみた。経験上、フォーシー・タイプのベタは、伏流水が湧き出るジャングルの細流に生息していることが多いためである。

探し回ること数日、やっとのことでそのような場所を見つけた。先日リコリスグラミーを発見したときのような美しい細流を見つけ、網を入れてみると、見事フォーシー・タイプのベタを採集することができた。よく見てみると、尾ビレの形状から、西カリマンタンから中央カリマンタンにかけて分布する、ベタ・ストローイに似ているという感想である。しかし、何匹採集しても、どれも明らかにサイズが小さい。幼魚なのかとも思ったが、雌雄ははっきり見分けることができ、成熟していると思われる。ナカモト氏がコッキーナ・タイプだと誤認したのがよくわかった。

「島の法則」という進化に関する研究がある。大陸や大きな島に生息する個体群に比べ、島に生息する個体群は、大きくなるか、小さくなるというものだが、このベタにもそれが当てはまるのだろうか。

私は、最初の発見者であるナカモト氏に敬意を表して、このベタをベタsp"ナカモト"と命名した。
 

発見したハーフビークの仲間。
私は見たことがない種類である


郵便マークが体側に入るかわいい魚。
ポストフィッシュも採集できた。


ベタ sp.〝ナカモト〟の水槽写真。エラにはアークレッドの2本線が入り、ボディーは光沢のあるスカイブルーに輝く
 
ベタsp.〝ナカモト〟の生息地。両脇にクリプトコリネが繁茂する美しい湧水流にて発見


ベリトゥン島はスマトラに属しているものの、カリマンタンにも近く、両エリアを起源とする魚が混生し、また混生の過程や島という隔絶された環境のなかで、他では見られない固有種のベタなども生息する、空前のワンダーランドであった。

現在、70種類近くものワイルドベタが知られているが、今回のこの島の探索だけで3種類もの、新種と思われるベタを発見した。この調子では、まだまだ未知の種類が見つかもしれない。今後とも手を緩めることなく、東南アジアでの探索を続けてゆきたい。

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